私の記憶をたどりますと
美容の世界も、おおよそ35年位前
年末といえば、31日は、大入り満員
その31日の日は、ほとんどのお客様が
シャンプーブローとかアップの方です
段ボール2杯分くらい、アップに入れる
たぼ毛(トップ)を30日から準備したものです。
なんと最後の31日はお客様100人強超え!!
達成感は、半端なかったのです。
さかのぼるとこの業界は
日本では大正時代から学校が続々と誕生し、さまざまなヘアスタイルも生まれていきましたが、
理容師・美容師が免許で区別されるようになるのは、まだもう少し先のこと。1947年に理容師全般の職務や資格を規定する「理容師法」が誕生し、
10年後、1957年になると理容師法から独立する形で「美容師法」が誕生しました。
現在、この法律には理容師と比べて美容師の仕事を
「パーマネントウェーブ、結髪、化粧等の方法により容姿を美しくすること」と定められています。
“キレイにするためのヘアカット”が仕事の美容師ですが、
約60年前に、今の形での美容師が誕生していたのですね。引用:https://www.kenkou-job.com/plus/beautician/113.html
その後カット技術の革命とも言えるのが、ヴィダル・サスーンが編み出した
「サスーンカット」でその当時劇的に業界が変わりました。
私は、その当時の先生がいち早くそのテクニックを
取り入れ一店舗サロンを構えておられて
そこへ新人として入社しました。
とにかくすごかったのは、寒い日も、暑い日も
お客様が外で10人位並んでいらっしゃると言うこと
開店と同時にスタッフが並んで、百貨店並みのお出迎えでした。
毎日が、夜は12時過ぎ朝は6:00から早朝トレーニング
そんな毎日でも嫌になるどころか、毎日が充実していて
感動の毎日でした。
私が入社したサロンは業界では早くその流れを察知して、
どんどん進んで、ブラッシュUPをしていった
その時代の成功者のストーリーがあると感じています。
そんな昔のことを思い出しながら、
いま様々な業界が、進化し変化ている中
微力ではありますが、進みつずけなければならないと
切磋琢磨しております。
リラク&ビューテーのスタッフがブログを書いています。
こちらも見ていただけると倖せです。
トップゼネラリスト 代表 井手上倖子
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